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 2019年12月25日、ひょんなことから盲ろう者であり東大教授の福島智先生にお会いできることになったのをきっかけに2020年2月より指点字通訳者の仕事を始めることになった。私が盲ろう者や点字に関心があること、3歳から10歳頃までピアノを習っていたため指が動くポテンシャルがあると(多分)見越してもらってのことだった。2020年の1月は見習いとして様々な場面に付き添いながら「指点字」を習得し、2月に通訳者デビューをした。


 そもそも指点字とは盲ろう者の人差し指から薬指の両手の6指を点字タイプライターのキーに見立てて直接点字を指で指に打つコミュニケーション方法で、福島先生の母令子さんが1981年に考案したものだ。指点字や手書き文字、触指文字に触手話、弱視手話に音声通訳など盲ろう者のコミュニケーション方法はいくつもある。というのも、「盲ろう者」というのは「目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害を併せもつ人」の総称であり、一口に「盲ろう者」と言ってもその障害の状態と程度は様々だからである。その中でも視力と聴力を完全に失った「全盲ろう」の方やそれに近い状態の方などが用いるのは触覚を用いた接触によるコミュニケーションである。これらの接触を用いたコミュニケーションはいとも簡単に1対1の2人の世界になり外界から閉じてしまうという問題点がある。私が習得した指点字も接触に依るため閉じたコミュニケーションとなりやすい。そのため通訳者は基本的に指点字を声を出しながら打つようにしており、外界から意図せず閉じることを回避するよう心掛けている。


〈指点字一覧表(パーキンスブレーラー式)〉
福島先生が母令子さんに初めて指点字で打たれた言葉「さとしわかるか」はライトブレーラー式だったが
今はパーキンスブレーラー式の指点字を使用する人が多い。


 「手話は空中に投げることができるが、指点字は空中に投げることができない」という風な喩えを聞いたことがある。私も実際そうなのではと感じている。例えばテレビの手話ニュースのように、手話は見せることによって不特定多数に伝達が可能だ。つまり「空中に投げる」という表現は不特定多数に伝達できる状態(視覚的・聴覚的)にするという意味で用いている。一方、指点字は通訳者が直接盲ろう者の指に指点字を打つため、必然的に触る触られるの1対1で行われる閉じたコミュニケーション方法となる。これが「手話は空中に投げることができるが、指点字は空中に投げることができない」と感じる所以だ。


 手話ニュースにおいては聴覚に障害を持った人も空中に投げられたものをキャッチできる不特定多数に含まれるが、もし指点字を空中に投げられたとしても(指点字使用者の)盲ろう者にキャッチしてもらうことは不可能に近い。実用的なニーズからニュースなどの重要な情報を真っ直ぐ投げるのではなく、指点字をまずはふわふわと飛ばすところからチャレンジする必要があるのではと考えた。そのため、制作するものは私自身のクリエイションと方向付いた。「盲ろう者が日常的に使用できる福祉機器的な道具ではない」ということだ。


 「指点字を空中に飛ばす方法」について私は2020年5月頃から福島先生とやりとりをしながら模索を行ってきた。今回は「指点字のベクトルの逆転」を試みる。すなわち、可視化・可聴化させるピアノ型の装置を用いて空中に飛ばす、つまり盲ろう者のことや指点字を知らない不特定多数に届く形に変換する試みを行うということである。


 この完成した《Finger Braille Piano》で私は何を打つべきか、それは「状況説明」と呼ばれるものなのではないかと考えた。まず「指点字」というコミュニケーション方法がこの世にあるということ、そしてコミュニケーションというのは「コミュニケーション方法があれば良い」のではなく「時と場の共有」によって本当の意味でコミュニケーションに参加することができるということ。その時と場の共有には「通訳者」による「状況説明」が欠かせないということ。その通訳者の働きがこの装置によって鑑賞者に向かって行われることで、鑑賞者は盲ろう者が普段受けているような状況説明を擬似体験することができる。これが普段盲ろう者にだけ向けられている「言葉による世界のベクトル」を逆転させることなのではないだろうか。